書籍・雑誌

2017年10月10日 (火)

館と花園

 『秘密の花園』と言えば、バーネットの話を思い出しますが、今回の本は『忘れられた花園』(ケイト・モートン作)。

 私は、この手のゴシック・ロマンスの誘惑に非常に弱く、ついつい読んでしまう。
私が思うところのゴシック・ロマンスとは、お城、館が出てくるミステリー風小説で、『嵐が丘』『ジェーン・エア』『レベッカ』あたりの雰囲気があるもの。
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 さて、この小説は、オーストラリア在住の老女ネルが自分の出自を調べにイギリスに行く話。
ネルは21歳になった時に、親から自分の子どもではない、と知らされ、オーストラリアに来た4歳の時に持っていたトランクを手掛かりに、自分がイギリスからオーストラリアに連れ出された経緯を調査します。
○そもそも自分は誰なのか?
○誰が、自分をオーストラリアに連れて来たのか?
 ネルは、自分がイギリスのある館で育ったこと、そこに住んでいたイザベラにオーストラリア行きの船に乗せられたことを思い出します。そして、イギリスのその館の中にあったコテージを購入しますが、謎を半分解いた所で、亡くなります。
 そして、そのコテージを相続した孫娘のカサンドラがその続きを調べるのです。
そのコテージに忘れられた秘密の花園がありました。
 話がネルの親の時代、ネルの時代、カサンドラの時代の3重層になっているので、読者だけは全容がわかるという仕掛けになっています。時代考証については、数点、解説でケチをつけられていましたが、人物も良く描けていると思います。
 本のご紹介はここまでですが、ひとつ問いがあります。
 なぜ、『秘密の花園』が人々の想像力をかきたてるのでしょう。
児童文学『The secret garden』(Burnett)の影響があるとは思いますが、図書館の本を検索しただけでもこんな本がありました。
“秘密の花園”・麻布 川本三郎/著
『秘密の花園』ノート 梨木香歩/著
秘密の花園でつかまえて 秋野ひとみ/〔著〕
秘密の花園 三浦しをん/著
秘密の花園 唐十郎/著
西の善き魔女 2 秘密の花園 荻原規子/著
女子大ガール-秘密の花園で、女子大生は何を学ぶのか- 白河理子/著
三月ウサギと秘密の花園 篠原美季/〔著〕
カメレオンのための音楽 秘密の花園 トルーマン・カポーティ/著 野坂昭如/訳
 ついでに、ミステリーには城が出てくるミステリー、館ものミステリーというジャンルまであるそうです。はまらないように気をつけなければ。
城が出てくるミステリー
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12159352412

館ものミステリー
http://suiri-book.sblo.jp/article/103816945.html

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2017年10月 8日 (日)

求人広告

本ブログは、本と音楽に関するブログのはずなのに、ふらふらと出歩いてばかりでした。
今日は最近読んでいる2冊の本について。
テーマは「求人広告」。

1冊目は、「ペナンブラ氏の24時間書店」

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 働いていたベーグル店が倒産して失業した主人公クレイが「24時間書店」の求人広告を見る。
何が24時間なんだろうと思った所ですが、無事に店主ペナンブラ氏に気に入られて、そこで働くことに。
この書店の奇妙な点は、店舗奥に「奥地蔵書」があり、会員が夜中に本を借りに来ることだった。そして、クレイは店員として次のことを守らなければならなかった。
○午後10時から午前6時までの勤務で、遅刻、早退は厳禁
○会員に棚から本を出すことが仕事で、本は読んではいけない、
○客とのやりとりを全て記録すること(時刻、顧客の様子、精神状態、本の請求の仕方など)

どうやら奥にある本は暗号化されているらしい、とくれば、暗号を解くことが主人公のミッションとなるわけですが、書店とインターネット、秘密結社とグーグル社などの対比があり面白かったです。

クレイの彼女キャットがグーグルに勤めているのですが、これって本当?
○食事は個人仕様となっており、ビタミンや天然興奮剤が加えてある
○会社の運営はプロダクト・マネージメントで行う。現在64人だが、くじ引きで決まる。
○寿命の延長、ガン治療、臓器再生、DNA修復を手掛けるチームもある

2冊目は、『ミー・ビフォア・ユー きみと選んだ明日』

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 働いていた喫茶店が閉店して失業した主人公ルイーズが、6カ月の期間限定の介護職の仕事に求人応募する。彼女の家は裕福ではなく、諸般の家庭の事情から、家族は彼女の稼ぎを当てにしていた。

 クライアントはお金持ちの家で、その息子ウィルの世話をする仕事である。
ウィルは会社を経営する青年実業家だったが、2年ほど前に不幸としか言いようがない不慮の事故で半身不随になったため、車いすと他人の手助けがなければ生きていかれない状況となり、人生に絶望していた。
その家族には秘密があり、ウィルの固い意思により、6カ月後には尊厳死の道を選ぶことになっていた。

そんなのは許されないこと、してはいけないことだとルイーズは思う。
何とかして、ウィルに生きる希望を持ってほしいと、彼女はウィルを積極的に外に連れ出す。
もちろん、ウィルの心が外に向くようになる過程もいいのですが、それまでさして人生に指針も持っていなかったルイーズが向上心を持つように変わっていく様子もほほえましい。
そして、当然のように二人の間には
恋愛感情が芽生え・・・
というところで読むのを一時停止しています。
本書のサブタイトルは、「きみと選んだ明日」となっているので、
まさか、ウィルを死なせないよね、と今から心の準備をしている次第。


どちらも、一番いい所で読むのを中断しています。
ですから、ネタばれの心配もありませんし、
皆さんと一緒に結末を予測できる次第です。

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2015年8月 2日 (日)

ヴェネツィアに行きたくなった

昨年はヴェネツィアに行く予定だったのに、知人が引っ越した関係で行けなくなった。

そんなことを思い出しながら読んだのが『ヴェネツィアの恋文』(アンドレア・ディ・ロビラント作)。

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これが面白かった。

もともと書簡とか日記は好きなのですが、この恋文は18世紀のヴェネツィアに生きた二人の人生が垣間見られて、引き込まれてしまいました。まさに、真実は小説より奇なり、です。

ヴェネツィア共和国がナポレオンによって滅ぼされる前の18世紀、ヴェネツィア貴族のアンドレアは、ヴェネツィア人母と下級貴族のイギリス人父を持つ17歳のジュスティニアーナと恋仲になります。しかし、支配階級の名門の子息が素性の確かではない娘と結婚することは許されないことでした。

しかし、二人は、人の目を盗み手紙で連絡をとり、密会を重ねます。残された手紙が全てを語っています。

何とか会いたい、と二人は思います。当時はよくあった話のようですが、ジュスティニアーナは歳をとった金持ちと結婚して、アンドレアと会えるようにしようと画策します。しかし、それもうまくいきませんでした。

ヴェネツィアにいられなくなったジュスティニアーナは、パリ、ベルギー、ロンドンと旅をしますが、その旅先からもアンドレアに手紙を書きます。興味深かったのは、この二人はあのカサノヴァとも友達で、しかもカサノヴァはジュスティニアーナの堕胎の手伝いまでしています。ジュスティニアーナの手紙には、彼女が旅先で見たもの、流行っていたことなども書かれていて、当時の様子がわかって興味深いです。また、彼女がよく読書をしていたのが印象的でした。

残された二人の手紙から、よくこんなノンフィクションをまとめたものだと感心しますが、作者はアンドレアの子孫らしく思い入れも強いのでしょう。

結局、アンドレアとは一緒にはなれませんでしたが、ジュスティニアーナは24歳の時、70歳のオーストリア大使のローゼンベルク伯爵と結婚します。オーストリアで6年間暮らしますが、夫の死後はまたヴェネツィアに戻ってきます。賭博に手を染めたりと紆余曲折はあったようですが、パドヴァで文筆生活に入ります。

1782年にロシアのパーヴェル皇太子一行がヴェネツィアを非公式に訪問した時の様子を、弟への手紙という形でフランス語で書いた冊子が好評になったので、彼女は第2作も書きます。

「書くことはジュスティニアーナの天職だった。才能が磨かれていく様子はアンドレアへの手紙で明らかだが、今では洗練された文章術を身につけていた。」

1788年には『レ・モルラック』という小説も書いています。

しかし、1791年には、子宮がんで亡くなります。

「もう長くはないと思われた頃、初恋の人に引き寄せられてアンドレアがパドヴァに現れた。痛みに悶えて変わり果てたジュスティニアーナを見て「取り乱して」しまったが、枕元で静かに見守った。・・澄み切った早朝の薄明の中で、アンドレアはジュスティニアーナに最後の別れを告げた。」

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2015年6月 5日 (金)

一葉に群がった文士たち

やっぱり面白い樋口一葉の日記。

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 5千円札を手にする度にかわいくないな~と思っていたけど、清張曰く、男を見る目は肥えていたのです。

 日記の常として身びいきに書いてしまうものだけど、彼女の自己申告によると、7つ頃から草双紙という読み物が好きで、父はおとなしくて物覚えの良い一葉を誇りにしていたとか。しかし、母は女に学問などさせるとろくなことにはならないと、針仕事や家事見習いのために、12歳で学校をやめさせます。それでも、一葉は、毎晩机に向かって和歌の勉強をし、小石川の中島歌子の萩の舎で学ぶようになりました。

 そんな向学心が実を結び、吉原近くの龍泉寺から本郷丸山福山町に引っ越してきた明治27年から、一葉は奇跡の14か月間に代表作を執筆するのです。

ご参考:

http://www.taitocity.net/taito/ichiyo/ichyo_institution/ichiyo_institution2.html

 文壇で一躍有名になった一葉の家を様々な「文学界」文士たちが訪ねます。斎藤緑雨に言わせると君をダメにする「油虫」どもなのですが、こんな人達でした。

平田禿木:「文学界」同人。当時は一高に通う23歳、日本橋伊勢町出身

馬場胡蝶:「文学界」同人。高知生まれ26歳、本郷龍岡町在住

戸川秋骨:「文学界」同人。「帝国文学」編集長。東京帝大で英文学専攻。平田と同じ下宿

中でも、馬場君は一葉が好きだったようです。

秋骨が「胡蝶子の君を思ふこと一朝一夕にあらず、その熱度の高きこと斗り難し」と言うと、一葉は「そはかたじけなきこと」と微笑んでかわしますが、毎日手紙をよこし、摘んだ花を送ったり、君のことを姉君のように慕っていると書いて来たりします。

 一葉は、「あはれ此思ひ今いくか続くべき」と男あしらいが上手ですが、内心得意だったことでしょう。学のない一葉がいずれは学士となるだろう若者たちと楽しく交流していた様子が目に浮かびます。相変わらずの金欠なのに、このような来客には魚を買ったり、鰻をとったりしていたのだから、見栄っぱりだねえ~。

川上眉山:東京帝大中退後、硯友社に加わり、後「文学界」に接近

この川上君は曲者で、一葉と結婚するというガセネタまで流します。

 こういう状況を見て、緑雨(正太夫)は、「文学界」文士たちを「油虫」と呼ぶわけです。

 さて、一番面白かったのが、一葉が「めさまし草」の「三人冗語」に誘われたことです。

そもそも一葉「たけくらべ」にスポットライトを当てたのは、鴎外、露伴、正太夫(緑雨)の3人による書評「三人冗語」でした。

 鴎外の弟の三木が訪ねて来てこう言います。

「今まで三人冗語と言ひて鴎外、露伴、正太夫の三人にて新作の評なし居たりしなれど、さらに君を加へて四つ手あみといふ名を付しつ各々名を署して評論さかんにせばやといふ願ひなり、切に入会給はれよ。」

 どうやらこれは、緑雨の了解なしにやったことのようで、緑雨はこの件について引き受けるべきでない、もはやバラバラであるめさまし草の内部事情を話し、さらには自分の身の上話までして帰って行きます。

 今度は三木と一緒に露伴がじきじきにやってきます。内容もおかしく、合作小説を創作しないか、というのです。

「いかで君一連に入り給ひて役者たることをゆるし給はらずや。御同意ならば其のうけもちの性格だけけふ取り定め、さてあらあらの大筋立てばや、細かき処は各自の思ふ処にまかせていささか筆の自由を妨げじ、各々の文体心々の書きざまいとをかしからんと思ふ。・・・」

露伴が本当にこんなこと言ったのかと笑ってしまう。

例えば士族の娘の役は一葉、長文を書くのは露伴、芝居気のある役は三木、歌舞伎の生世話物なら正太夫、学者や官吏役なら鴎外にやらせよう。鴎外の妹役に一葉というのもいいかもしれない。その場合、一葉の恋人役が露伴、悪役は正太夫だねえ。

あほらしさにも程があるが、一葉はなかなかの聞き上手で、露伴に話させています。

挙句の果てに、「たけくらべ」の信如は露伴に、田中の正太は鴎外、横町の長吉は正太夫のはまり役、自分はをどけの三五郎だと三木も言います。もちろん大黒やの美登利は一葉だと。

あほらし、これでは「めさまし草」の皆さんも「油虫」ではありませんか。

3時間ほど彼らは話して帰りますが、翌日正太夫(緑雨)がやって来ます。

もちろん、話をとめに、です。

 折角面白い展開だったのに、日記はここで終わっています。一葉の病状が進み、もはや日記が書けなくなったためです。

 すでに書きましたが、緑雨は、一葉の葬式も行い、一葉の妹の世話までします。そのお礼だかどうかは知りませんが、緑雨は一葉が残した日記を含む手稿を譲り受け、一葉全集を出版します。但し、日記は死ぬまで手もとに置き、死ぬ前に馬場君に渡したそうです。

 緑雨がどんな気持ちで一葉日記を読んでいたのかと考えると、とても感慨深いです。

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2015年6月 2日 (火)

やぶれかぶれの一葉の交渉術

『樋口一葉 日記・書簡集』。

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 文語体なので読みにくいのですが、なかなか美しい文章だし、和歌のたしなみもあり、さすが才女です。

でも面白いのがその内容。

明治27年2月頃に、天啓顕真術会本部の久佐賀義孝氏を鐙坂の上の真砂町に訪ねます。

何だ、このあたり歩いたことがありました。

こちらの写真は、鎧坂を上から見た所。手前の家には金田一京助氏が住んでいたそうだ。

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 ここにはこんな古い家もあり、多分この裏手あたりに昔の一葉の菊坂の家があったものと思われます。

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 さて、話を一葉に戻しましょう。

この頃、一葉は菊坂から下谷龍泉寺町に引越し、吉原近くで荒物・駄菓子屋をやっていましたが、なかなか生活が苦しかったのです。

 久佐賀氏は占いや相場をやっていたようですが、一葉はこんなことを頼み込むのです。

「女の身でありながら、こんな風に押しかけて来て申し訳ありませんが、これには理由があるのです。天地を治められているほどの広いお心で、どうか私の愚言、卑言を聞いて下さいませ。私は、まさに窮鳥の飛入るべきふところのないという状況で、父を亡くして6年、老いた母と若い妹を養うために、下谷で商いをしておりますが生活が楽になりません。浮世に望みもなく、自分のことはどうでもいいのですが、親のことを考えると、何とか相場をしてみたいのです。元手となるお金は一銭もありませんが、何とかご指導願えないでしょうか。」

 この時は4時間ほど話して帰宅します。

 久佐賀氏は、一葉のことを面白いと思ったのでしょう、後日、へたくそな歌をつけて亀戸天神の近くの梅屋敷に梅を見に行こうと一葉を誘います。

へたくそな歌とは

「とふ人やあるとこころにたのしみて そぞろうれしき秋の夕暮」

何で秋なの~?と思ったがつっこむのはやめておこう。

 一葉は、梅見に誘うなんて下心がみえみえ、彼の手中に入るわけにはいかないわ、と微笑んでこんな返事を書きます。

「貧者余裕なくして閑雅の天地に自然の趣をさぐるによしなく、御心はあまたたび拝しながら御供の列にくわわり難きをさる方に見ゆるし給へ、・・」

梅は見られないが、お気持ちに感謝して、とても上手な歌を返します。

「すみよしの松は誠か忘れ草 つむ人多きあはれうきよに」

 その後、一葉自身もよくも久佐賀氏にあんなことを頼んでみたものだと反省したようですが、6月になって、先方から手紙が来ます。

 歌道熱心なのに困苦している君のために何かをしてあげたいが、一回会っただけでそのようなことを頼む君の方も心苦しかろう。

「いでやその一身をここもとにゆだね給はらずや」

なるほど、妾になれと言われちゃったのですね。

 それに対し、一葉は返事を書きます。

私の今日までの詞、行いが大事なものであるとあなたが思うのであれば、援助をお願いします。私を女だと思ってあやしいこと(妾になれということ!)をお考えならお断りさせて頂きます。

 断られた久佐賀氏は、友達でいいから長くお付き合いしてと頼んだそうな。でもお金を援助してもらえたかどうかは不明・・・

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2015年5月20日 (水)

点と点をつないでくれる松本清張

 先月には根津神社界隈、先週は坪内逍遥先生を記念する早稲田の演劇博物館に行ったのですが、この2点をつないでくれたのが、『文豪』(松本清張作)でした。

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 帝国大学が出来る前は、根津神社の近くに遊郭があったそうで、坪内逍遥はそこで知り合った女性と結婚しています。
そこら辺の事情が、『文豪』の中の1編『行者神髄』に書かれていたので、点と点がつながったわけなのです。
 松本清張と言えば『砂の器』くらいしか読んでいなかったのですが、今回の『文豪』は、明治の作家について清張独自の調査と解釈が加わっていて非常に興味深かったです。
『行者神髄』の他に、尾崎紅葉と泉鏡花の関係を書いた『葉花星宿』、斎藤緑雨について評した『正太夫の舌』が入っています。
 明治の作家自体あまり知らないのですが、特に緑雨なんて聞いたこともないから、読むのはすっとばそうと思っていたのですが、何々樋口一葉に惚れていた?ということで読んでしまいました。
 緑雨は明治時代の小説家・評論家です。清張さんには誠に申し訳ないのですが、最後の最後の方の一葉との絡みだけご紹介いたしましょう。
一葉は緑雨の好みのタイプ(「鋭い顔の道具立て」)だった、と清張は確信しています。
5千円札でおなじみの彼女は、「細面で、眉と眦とがやや吊り上って、口もとをきゅっと結んだ、いかにも「鋭い顔の道具立て」という感じ」の小柄な女性でした。
清張の文章をそのまま引用します。
「母と妹とを抱え、19歳にして本郷菊坂で洗濯と針仕事で生活を支え、22歳で下谷竜泉寺町に移って荒物屋と駄菓子屋とを開き、その間、半井桃水を師として小説を書き、中島歌子の歌塾「萩の舎」の助手をし、傍ら歌の弟子をこっそりと自分で取り、あるいは・・・女相場師になりたいなどと言って物質的援助を申込み、・・・友人、知人から借金してまわるといった一葉は、俗に言えば「強かな女」であり、さぞかし「全体に引き締まった顔つきと言う感じのする女」であったろう。」
「にごりえ」「わかれ道」で才能を認められた一葉は、こんな具合にモテモテだったようです。
「一葉の家には、平田禿木・秋骨・孤蝶など『文学界』の連中が常連として行っていた。・・上田敏も行き、島崎藤村も孤蝶か禿木に連れられて一葉をのぞきに行った。川上眉山はことに熱心であった。」
彼女の家の玄関先は男下駄でいっぱいだったのです!
そんな「やくざ文人ども」は君にとっては「油虫」だから早く追っ払ってしまえ、と緑雨は一葉に忠告して、自分は近作「われから」の批評のために意見を聞きたいとか口実を作って、彼女を訪ねるわけです。
一葉日記には、緑雨が訪ねて来た時のことも書かれています。
清張の解説を現代風にアレンジすると、
「文学のことについて話に来るのなら人目を忍んで隠れるように振舞うこともないのに、この人、表向きの話の他に下心を抱いているみたい。そうだとしたらちょっと面白いわね。」
「敵としても面白いが味方につけるとなおさらに妙味がありそう」と日記に書く一葉は、男を見る眼は肥えていて、確かにしたたかな女流作家でした。
こんな面白い展開があったのですが、ご存知のとおり、一葉は肺病に蝕まれていきます。
一葉の病状が悪化すると、鴎外に頼んで医者に来てもらうし、危篤の連絡があった時には「油虫」扱いをしていた文人たちと連絡をとって、一葉死後には葬儀費用の支払い、借金の始末に尽くすのです。
一葉の妹の面倒をみて仲人まで引き受けたり、『一葉全集』を出版したりと、何とけなげに一葉に尽くしたことか!!
おまけですが、
"ギヨエテとは おれのことかと ゲーテ云ひ"
これは緑雨が言ったんですってね。

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2015年5月13日 (水)

リースの家族は弥生町に住んでいた

 再び、お雇い外国人の話。

東京帝国大学に月俸370円で雇われたドイツ人史学教師ルードヴィヒ・リースはこんな人でした。

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 このリースの日本での生活がわかる写真が、『わが父はお雇い外国人』(金井、吉見編著)に載っていました。

この本の家族集合写真には、リース家族に加えて、母方祖父母+車夫夫妻+女中+お手伝いさんが写っています。娘3人にはそれぞれ乳母らしきベアママがついていたというのですから、かなり贅沢な暮らしぶりだったことが伺われます。

しかし、リースはその後解雇されたので、家族は帝国大学内の教師館から弥生町3丁目に移り住みます。弥生町3丁目ホ1号という地名は現在はないのですが、おそらくは現在の弥生町2丁目付近と思われます。近くに浅野侯爵の屋敷(現在は東大工学部のアネックス)があったそうですから。

いうわけで、「リースの家族は弥生町に住んでいた。」(異人坂の近くだったと推測)

 さて、Wikipediaを読むと、リースは、西プロイセン生まれのユダヤ系歴史学者で、厳密な史料批判を援用する科学的歴史学を日本でも教えたようです。1902年まで日本にいましたが、その後ベルリンに戻り、1928年に亡くなっています。娘の政子の談話筆記集である前述の『わが父はお雇い外国人』にはリース書簡もあり、離れていても家族のことをいつも思っていたリースの様子がわかります。

日本にいる間、子どもに「こぎつね」の歌を訳して譜面に残しています。

例の、小学校で習う「こぎつねコンコン山の中~♪」という歌ですが、この歌はもともと18世紀ドイツ民謡だったようで、リースは実に厳密に訳詩をつけています。

「狐よ、おまえががちょうを盗んだな。それを返しておくれ。返さぬと狩人が鉄砲を持って、おまえをつかまえに行くよ。」

 リースの科学的歴史学の授業はとても厳しくて、あの正岡子規も落第したそうです。

http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/utokyo-research/feature-stories/recorded-history-unwritten-future/

上記から引用しますと:

「正岡子規は随筆『墨汁一滴』で、自分が帝国大学を落第したのはリースの授業を落としたからで、その後もしばしば試験に苦しめられる悪夢を見ること告白していますが(6月16日の稿)、そのような学生は子規だけに留まらなかったようです。」

リースは、ドイツの大学と同様に、演習(ユープンク)という授業形式で授業を行ったそうです。

「たとえば1888(明治21)年の演習で取り扱われた島原の乱の研究では、日本側の史料だけでなく、オランダ商館やキリスト教会関係などヨーロッパ側の史料を集め、それらを比較検討しながら蜂起の経過から鎮圧の過程に至るまでを再構成し、成果は論文として発表されました。学生たちは単にリースの講義を聴講するだけでなく、日本語の古文書を英訳するなどして史料分析に積極的に関わることで、近代的歴史学の手法に習熟したのです。」

なるほど、このような歴史研究方法なら、きっとトニイパンディが見つかったかもしれません。

政子さんはリースの希望通り日本に残り、一生懸命勉強し、また良き妻、良き母となって生涯を終えられたことが、上記の本ではわかります。彼女は父の著作『欧州近世史』の和訳にも携わっています。

Wikipediaによると、「阿部秀助は、リースの娘を妻とし、リース『欧州近世史』を日本語に翻訳した。」と書かれています。しかし、実際は義理の兄阿部秀助は病気だったので、ほとんどは政子が英文から日本語に訳し、それを原書とつきわせて阿部氏が確認したそうです。

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2015年5月 9日 (土)

異人坂とお雇い外国人

異人坂にはどんな外国人が住んでいたのだろう、と思って検索したら、面白い情報がありました。

http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai97/tenji-index.html

この資料には、外国人教師が異人坂に住んでいたという記述はありませんでしたが、「お雇い外国人教師」館の写真がありました。

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彼らは大臣なみの高給で日本に招へいされたわけですが、フルベッキ、ハーン、リース、コンドルなどの名前が挙がっています。

このリースの娘の談話筆記集があります。

『わが父はお雇い外国人』(金井、吉見編著)。

この本によると、加藤政子さんは、父リース、母大塚ふくの間に、本郷の帝国大学の中で生まれています。

P21の記述によると、

「正門を入りますと、まっすぐ長い通路があり、その両側に法科大学、文科大学があり、その先に理科大学があり、みんな、赤煉瓦でできていました。正門を入った所で、右と左に道がついていて、右へ行くと赤門があり、その途中に、図書館とさざえ山という小山があり、昔加賀様がかかえていた鳶の者が、物見やぐらのかわりにして、そこから遠くを見ていたということを聞きましたが、私も子どもの時、よくそこへ登って遊びました。この山に登らなくとも、構内には木もほとんどなかったので、富士山が良く見えました。」

「左へまいりますと、工科大学があり、そこに突き当たって右に曲がりますと、5番、6番、7番、8番と4つの教師館がございました。どれもみんな木造の平屋建て洋館で、5番館には工科大学のウェストさんが住んでおられました。・・」

リースは史学教師、ベルツは内科、スクリバは外科の教師でした。彼らはドイツ人で、日本人を妻として子どももいたようです。

さて、『お雇い外国人』(梅渓昇作)では、彼らがどんな環境で生まれ、どんな教育を受け、どんな契機で日本に来たのかなどについて書かれていたので面白かったです。

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 いかに高給だったとはいえ、日本は極東の未開の地。生きて帰れるかわからないような危険もあったはずです。

P137によると、彼らの来日の動機には、故国で幸福、安静な生活が送ることができず、むしろ逆境にあった人々が目につく、と指摘されています。

ロエスレル:論争に敗れ、学界に受け入れられなかった。ドイツ帝国の国家生活の展開に失望

ワグネル:肉体的、精神的な疲れ

フェノロサ:恋に破れた精神的打撃

 また、お雇い外国人の中には不真面目?な人もいたようです。

P185によると、明治3年ごろ「ダラース、リング事件」が起こり、2人の外国人教師が神田須田町付近の屋台で斬られたそうです。

ダラースとリングは、日本人教員の支援により、いつの間にか妾を囲うことを覚え、時々妾宅に泊まりに行っていたらしい。事件当日は、リングとダラースがリングの妾を真ん中にして手をつなぎ、某日本人教員がその前を提灯を持って歩き、ダラースの妾の家の方へ移動中だったという。

外国人に妾を世話して挙句の果て逃げ帰った日本人教員は免職、加害者は斬罪とのこと。

これが日本風おもてなしだとは思われたくないなあ・・・

 ということで、異人坂に外国人が住んでいたという確証はなかったものの、本郷に住んでいた外国人は、上野方面に行くときには異人坂を通ったであろうと推測します。

ご参考までに、下記資料では向ヶ岡の地形がわかります。

http://tousyoku.org/wp/wp-content/uploads/2015/01/6aab92a61ca17c9bff4635bb5e4e41bb.pdf

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2015年4月28日 (火)

人の死なない推理小説

今回は『フランチャイズ事件』(ジョセフィン・テイ作)。

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『時の娘』に続いて、ジョセフィン・テイを読んでいます。

『フランチャイズ事件』は、ある少女に監禁と暴行の理由で告発されたフランチャイズ家の母娘の話で、流通における事業形態のフランチャイズとは無関係です。

無実の罪で告発された母娘を助けるために弁護士が一生懸命奔走していて面白いのですが、「人が死なない」点でとてもよろしい。

ポーの『盗まれた手紙』も思い出しますが、無流血系推理小説だと盗まれたものを探すか、冤罪を晴らすかなのかな・・?

最近読んだ『おやすみラフマニノフ』では、チェロが盗まれたけど人は死ななかったと記憶しています。

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ご参考までに、「人の死なない推理小説」で検索してみました。

http://search.nifty.com/websearch/search?select=2&ss=up&cflg=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&chartype=&Text=%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%AA%E3%81%AA%E3%81%84%E6%8E%A8%E7%90%86%E5%B0%8F%E8%AA%AC

それにしても、ジョセフィン・テイはなかなか良いです。

Wikipediaによると、イギリスの女性の推理作家で、割と早く亡くなったんですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4

英国推理作家協会の選んだ「史上最高の推理小説100冊」中で彼女の作品は3冊も入選しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E6%9C%80%E9%AB%98%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%90%86%E5%B0%8F%E8%AA%AC100%E5%86%8A#.E5.90.84.E3.82.B8.E3.83.A3.E3.83.B3.E3.83.AB.E3.81.AE.E7.AC.AC1.E4.BD.8D

『時の娘』の歴史ミステリー的風味に加えて、今回の『フランチャイズ事件』での人物描写の巧みさ、小説としての面白さなど、なかなか実力のある作家だと思いました。

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2015年4月25日 (土)

リチャード3世のトニイパンディ

面白い推理小説を読みました。

『時の娘』(ジョセフィン・テイ作)。

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 話の筋は、病院で療養中のグラント警部が、プランタジネット朝の最後の王、リチャード3世の甥殺しの汚名を晴らすというもので、歴史小説っぽい感じもします。

しかし、面白い。

 もちろん作者は歴史小説を書く気など全くなく、ミステリーならこんな風に事件を解決すると示しているのですが、プランタジネット朝後のチューダー朝の人が書いた記録をそのまま鵜呑みにするのではなく、リチャード3世の行動や書簡などの物証を重んじ、「誰が得をするか」という観点から考察して、結論を導いている点で説得力があるのです。

 ところで、トニイパンディというのは、ウェールズ南部の地名だそうです。

この町で起こったある事件の真相とは全く違うことが史実として伝わっていることを指しています。現場に居合わせた一人一人皆が、この話は作り話だと知っていながら、しかも、それを否定しなかった。それによって、この話が嘘だと知っている連中が黙ってみている間に、その全くの嘘っぱちが伝説になってしまったという事象です。

歴史というのが常に勝者が書いているものだということを考えれば、このようなトニイパンディは沢山埋もれているのでしょうね。こんな真実を発掘するのが歴史の醍醐味だと思えてなりません。

話は、変わりますが、リチャード3世の遺骨が見つかったとか。

http://www.afpbb.com/articles/-/3026146

http://www.afpbb.com/articles/-/3033295

いろいろ大変ですね。

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