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2015年8月 2日 (日)

ヴェネツィアに行きたくなった

昨年はヴェネツィアに行く予定だったのに、知人が引っ越した関係で行けなくなった。

そんなことを思い出しながら読んだのが『ヴェネツィアの恋文』(アンドレア・ディ・ロビラント作)。

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これが面白かった。

もともと書簡とか日記は好きなのですが、この恋文は18世紀のヴェネツィアに生きた二人の人生が垣間見られて、引き込まれてしまいました。まさに、真実は小説より奇なり、です。

ヴェネツィア共和国がナポレオンによって滅ぼされる前の18世紀、ヴェネツィア貴族のアンドレアは、ヴェネツィア人母と下級貴族のイギリス人父を持つ17歳のジュスティニアーナと恋仲になります。しかし、支配階級の名門の子息が素性の確かではない娘と結婚することは許されないことでした。

しかし、二人は、人の目を盗み手紙で連絡をとり、密会を重ねます。残された手紙が全てを語っています。

何とか会いたい、と二人は思います。当時はよくあった話のようですが、ジュスティニアーナは歳をとった金持ちと結婚して、アンドレアと会えるようにしようと画策します。しかし、それもうまくいきませんでした。

ヴェネツィアにいられなくなったジュスティニアーナは、パリ、ベルギー、ロンドンと旅をしますが、その旅先からもアンドレアに手紙を書きます。興味深かったのは、この二人はあのカサノヴァとも友達で、しかもカサノヴァはジュスティニアーナの堕胎の手伝いまでしています。ジュスティニアーナの手紙には、彼女が旅先で見たもの、流行っていたことなども書かれていて、当時の様子がわかって興味深いです。また、彼女がよく読書をしていたのが印象的でした。

残された二人の手紙から、よくこんなノンフィクションをまとめたものだと感心しますが、作者はアンドレアの子孫らしく思い入れも強いのでしょう。

結局、アンドレアとは一緒にはなれませんでしたが、ジュスティニアーナは24歳の時、70歳のオーストリア大使のローゼンベルク伯爵と結婚します。オーストリアで6年間暮らしますが、夫の死後はまたヴェネツィアに戻ってきます。賭博に手を染めたりと紆余曲折はあったようですが、パドヴァで文筆生活に入ります。

1782年にロシアのパーヴェル皇太子一行がヴェネツィアを非公式に訪問した時の様子を、弟への手紙という形でフランス語で書いた冊子が好評になったので、彼女は第2作も書きます。

「書くことはジュスティニアーナの天職だった。才能が磨かれていく様子はアンドレアへの手紙で明らかだが、今では洗練された文章術を身につけていた。」

1788年には『レ・モルラック』という小説も書いています。

しかし、1791年には、子宮がんで亡くなります。

「もう長くはないと思われた頃、初恋の人に引き寄せられてアンドレアがパドヴァに現れた。痛みに悶えて変わり果てたジュスティニアーナを見て「取り乱して」しまったが、枕元で静かに見守った。・・澄み切った早朝の薄明の中で、アンドレアはジュスティニアーナに最後の別れを告げた。」

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