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2014年5月24日 (土)

モンブラン伯爵が大暴れ

 以前ご紹介した『プリンス昭武の欧州紀行』(宮永孝作)によると、慶応3年のパリ万博には、日本政府とは別に薩摩藩も出展していました。彼らは何と、「薩州侯兼琉球王の使節」と名乗っており、その代表がベルギー貴族のモンブラン伯爵でした。

 モンブラン伯爵は、「日本はプロシアのように連邦制をとっており、大君というのはその中の有力な一王侯に過ぎず、薩摩太守なども同じように独立した領主である・・」というような情報をフランスの新聞に流して、日本政府に対して嫌がらせをしました。

 このモンブランさんってどんな人だったのだろうという私の疑問に答えてくれたのが、『妖人白山伯』(鹿島茂作)でした。

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 ちょっとびっくりしたのが、モンブラン伯が「本牧秘密御殿」なるメゾン・クローズを作っていたという記述。本書によると、すでに1860年には異人相手の娼館が開業していたそうですが、モンブラン伯は政治の裏取引の場となるような高級版を作ったのです。

「モンブランは内装にも凝り、和風を基調にして肘掛椅子や長椅子など家具にフランス王朝風を取り入れ、それに、自ら日本人の調理人にフランス料理を手ほどきした上で、ボルドーやブルゴーニュなどの高級ワインを備え、フランス人にも日本人にも気に入ってもらえるような日本初の本格的メゾン・クローズを作り上げた。そして、その賓客第1号として、フランス公使ベルクール閣下のご光臨を願ったのである」

 へ~、あのベルクールさんですね

ふらんすお政と呼ばれるやり手の女将が、より取り見取りのムスメガールを集めてご接待していたので、ベルクールはすっかり「本牧秘密御殿」が気に入り、江戸のフランス公使館をほったらかして、このメゾン・クローズに居着いてしまったとのことです。また、竹本甲斐守を同じように接待することで、幕府の親仏路線を決定させたというのが、鹿島氏のシナリオです。

 本当なのかしら、と思いネットを見てみると、ふらんすお政のことが書かれている文献がありました。こちら

 この論文では、誰がどのムスメガールと関係を持ったかまで書かれているからすごい。

 どうやら、鹿島氏はこの論文などの文献をもとに、史実と史実とをエロティックな糸でつないで『妖人白山伯』を書いたように思えます。以前読んだ鹿島氏の『パリ 娼婦の館』では、娼館の女将の条件や娼婦の調達方法、高級シャバネのインテリアについても書かれていたので、本書でもメゾン・クローズについて書きたかったんでしょうね・・・

 

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